去年の話
去年のポッキーの日だったと覚えている。
夫の父方の祖母、つまり義祖母が鬼籍に入った。
こんな時勢なのと、義両親が今の私の体を気遣って下さった関係で一周忌は身内だけで先日ひっそり済ませた。妊婦の鼻に染みる焼香の香りにある種の生死のコントラストを感じた…ようにも思えた。
御年92歳の病気も怪我も無い大往生、であったがその最期は趣味の畑いじりの最中だったという。「だったという」という他人事のような表現なのは厳密に最期の瞬間を看取った人が側にいなかった為で、亡骸を見たのは大きな病院のER。事件性が無い事を確認するべく夜中まで警察の実況見分にも立ち会った。
よく言えば、好きな事をしている間にポックリ、という事だった。
義父曰く本当に前日、いや当日の午前中までごくごく普通にいつも通りの生活を送り、既に年越しのお節料理まで注文済だったとの事だから突然、あまりにも突然の別れにあたふたした気持ち、そういう徳を積んだ人だけが辿り着けるような最期もあるのかと妙に達観した気持ち、あの小柄な体ながら結婚式の料理は全部平らげて下さったなぁと思い出して寂しくなる気持ち。様々。
という訳で喪中だったのだが折角注文して下さったお節は年明けに食べた。大切に。
結婚前の挨拶からその日迄の1年半程、いや直接話した回数だけを数えればもっと少なかったから、家族の情と呼ぶには全然薄っぺらいままだったのは申し訳ないが仕方ない。ただその周りの人、特に義父は一時糸が切れたようにぼうっとしていたのは覚えている。義母も嫁姑のアレコレはあったようだが「仕事をリタイアした後にする事が無くなった」と寂しそうに呟いていた。
きっと、「そういう人」だったのだ。
そんな訳だから周りから「孫はまだか」と言われたし、諸々治療中で凹んでた自分も語弊のある表現だが「もしかして」と期待がなくはなかったし、色々経て、桜の花弁と共に腹の中へやってきて、現在9カ月目である。まぁ因果関係は特にないと思いつつ転生モノのラノベや漫画が流行る昨今なのであるかもしれない。ないかもしれない。
義父曰く、元気なお人柄だったと聞く。胎動は激しい子である。
ひとまず、無事に出てきてくれるようお礼とお祈りはしておきたく思いつつ、フリーランスに関係あるのかどうか分からないような産前休暇もどきを少しでもゆっくり迎えるべく仕事の原稿を片付けている、という事でこの話を〆る。